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雪組「ニジンスキー」【CS鑑賞】早霧せいなの美しさは圧巻!!緒月遠麻の演技力に参った!!

最近若手の演出家の勢いがすごい。
バウホールで次々とデビューし、その完成度はとても高い。
宝塚もこういう作品を作る演出家が出てきたか!と思ったのが、
まず原田諒君だった。

残念ながら、生の観劇はできなかったが、改めて諒君の演出力には
唸るしかない。3月の「ロバート・キャパ」で作品の完成度に
「これは・・・本物が出てきたぞ!!」と期待しかできなかった私だが、
諒君の作品だがこの「ニジンスキー」。
どうも苦手な「バレエダンサーもの」の今作品をなかなか見る気が
おきなかった。だいたい、バレエダンサーものは「挫折と、挫折と、挫折の物語」
である。宝塚ではないが、映画で何年か前のアカデミー賞作品「ブラック・スワン」で
スポンサー、演出家、そしてキャストの人間関係が複雑に絡み合った
「バレエダンサーもの」を見、宝塚には申し訳ないが「もうバレエダンサー物は見たくない」と
勝手に判断してしまったからである。

ほんとーに、すみません(土下座)。

諒君にはいつも泣かされる私だが、今回の「ニジンスキー」も例外ではなかった。
わんわん泣いた。母もびっくりである。演出も、主演のニジンスキーを演じた
早霧せいなニジンスキーを深く愛するその妻愛加あゆ、
「バレエダンサーもの」にはつきものの背後の権力者緒月遠麻。
そして、雪組の若手実力者たち(若手のアンサンブルも素晴しい!)。
どれもかれもが美しく、ダンスも力強く、歌も素晴しく、演出も斬新。
話はまあ、私の「バレエダンサー物」=ドロドロの人間関係、というのは
あながち間違ってはいないと思うのだがとにかくチギタさんが外見もだが
ダンスも演技も美しく、宝塚の品位を失うことなく狂っていくニジンスキーを好演している。
とにかく、チギタさんの迫力の演技に涙が止まらなかった。

いつもの素の中2病が嘘のようである。(中2病言うなー!)

私が一番好きなチギタさんが詰まっている。
私の好きな早霧せいな。それは何か。
まず、彼の演技には嘘がない。嘘っぽくない。
生まれたての赤ちゃんみたいなぼんのーなど何もなく、
純真無垢で信じるものはとことん信じ、自分で「これなんか違う!」と思ったら
演技ができない、という素直さが早霧せいなという「タカラジェンヌ」だと思う。

「ここはキザりたい!」と思ったらフィナーレの黒エンビはとことんキザるし、
「ここは相手役を愛す!」と思ったらブエノスアイレスの結婚式はとことん宝塚ワールドに
あゆを包む。うっとり。もうこの人のこういうところが好きだ。

終盤の狂う演技など特筆もの。
あんな激しいダンスを踊りながら、表現するのはただひとつ「狂ったニジンスキー」。
早霧せいなニジンスキーが憑依している?そんな錯覚も覚える。
正直、怖いくらいの錯乱。この人、この演技していて生活に
支障が出ないのかしら・・・?と心配になるほどである。

そして、宝塚の作品では「え?いいの?」と思う斬新さを打ち出した
「権力者との愛人関係」。しかも同性。今の時代ボーイズラブなど
珍しくもなんともないし、普通の本屋でも普通に小説やマンガが売られているが
宝塚ではなかなか見る機会がない。あっても少し。
だいたい「友情」に置き換えられることが多い。

しかしこの「ニジンスキー」、結構激しく関係が打ち出されている。
あそこでニジンスキーが「今夜は疲れてるんだ」と切り出したが
疲れてなかったらどうなってたんだ!!!と客席はドキドキしたのではないだろうか(笑)。
少なくとも私はドキドキしてしまったよ。

ニジンスキーは素直な人、「踊らなければ食えない」。
それは幼少時代の彼の経験からきているもので、本当にそんな人生だった。
「セルゲイを裏切ったら生きていけない」。そんな束縛の中生きている(Ⅰ幕)。
しかしニジンスキーは本当に自分を愛してくれる人、
そして自分が愛する女性を見つけてしまった。
ロモラ。ブエノスアイレスのふたりっきりの結婚式もとても美しい。

初めてセルゲイを裏切った。そして、食べていけなくなった。

妻を食わせていけることができない。子どももいる。
僕には責任がある。父親のようには、母と自分を捨てた父親のようには自分はなりたくない!
そして、セルゲイの元に戻るニジンスキー
言い聞かせる。「踊らなければ、食えない」・・・。

まさに挫折、挫折、挫折、ときどき裏切り。

ただし、私がこの「ニジンスキー」が「いいなー、宝塚っていいなー」と思うところは、
愛加あゆ演じるロモラの存在である。
もし、自分が愛した人が狂っていったらどうしよう。
自分の好きな踊りが踊れないのに、自分を食わすために
踊りたくないバレエを踊り、耐えて精神を病んでしまったら・・・?
私にはとても耐えられない。
ただし、ロモラはお嬢様でバレエはへたくそ。
最初に会った時もニジンスキーに突き放される。
けれど、彼女は彼を愛することを辞めない。裏切りもしないし、逃げ出しもしない。
ただ真正面から彼を受け止め、自分の力だと何もできないことを悟り、
夫を苦しめているセルゲイのもとに向かっていく。

諒君のヒロインはいつも自分を信じ、相手を信じ、強くたくましい
「相手に依存しない」ヒロインを描く。ああー、好きだ。
そしてあゆはそんなロモラをとても素直に演じている。

あゆのロモラに「すごい!」と思ったのはセルゲイの元へ行き、夫の手紙を読んだ後の
強い目線。あゆの大きな目に吸い込まれそうな不思議な目力に鳥肌がたった。
「夫を守るのは自分しかいない」とでも言いたげな目線。
あゆも美しい。凛としていて、ロモラというヒロインを自分のものにしている。

そして、偶然だが昨日の夜中「緒月遠麻というスターの考察」を書いた後、
この作品を見たことをとても後悔している。
この作品を見てからちゃんと緒月の演技力の魅力について真剣に書きたかった。
あの記事ではちょっと茶化して書いてしまったのだが、
この作品を見てやっぱり緒月遠麻という役者はすごい、と改めて感嘆させられた。
セルゲイは実は悪役ではない。
権力者で、ニジンスキーを束縛し、自分のものとして扱っている。
が、最後まで見るとセルゲイは悪役ではなく、むしろニジンスキー
人生において必要不可欠の人間だったのだ、と感じることのできる人物。

緒月でなければただの独占力の強い権力者、

になってただろうと思う。
正直、あんなにニジンスキーを深く愛した人間はセルゲイの他誰もいない。
ニジンスキーは彼に羽根をもぎ取られてしまうのを
恐れていたが、こうやって劇を見てると、むしろニジンスキー
羽根を与えてあげた人間はセルゲイなのではないか、という気もしてくるから、
セルゲイの見方は様々だと思う。これは緒月にしかできない。
それは確かである。いやはや、あっぱれ。緒月遠麻恐るべし。

それにしても緒月と早霧のラブシーンを暗転にしなかった諒君は
やっぱり只者ではない、と感じた「ニジンスキー」でした。

やっぱり見ず嫌いは損する。もっと早く見ればよかった・・・。
いやいや、それだけ「ブラックスワン」の呪いが(ひどい)私の精神に
こびりついていたんだなー。って、「ブラック・スワン」支持者の皆さまごめんなさい。

諒君の作品の特徴の「記者」の使い方は相変わらず秀逸。
特に緒月の顔写真をコラージュしたスケッチブックを持たせ、
ニジンスキーの心の影に潜むセルゲイを思わせる演出は
「はー、参りました」と。オスカル様、バスティーユに、白旗がー!!!!級でした。

いや、いい作品でした。フィナーレも男役がかっこよく、最後まで楽しめた逸品。