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亡霊が見せた初夏の夜の夢「ドンジュアン」

いやーーーーーーーーーーすごかった。

 

と、いうわけでお久しぶりです。あくるです。

諸事情もろもろの結果、5月の「ヴァンパイア・サセクション」ぶりのDC。

 

 

KAATの評判を耳にするたびに

 

「私ダブルとか死んじゃう・・・」とか、

「がおたんあのスチールなの絶対何かあるし何かあったら私無理・・・」とか、

「望海さんのダメな男っていう安定の役振りしてくる生田くん・・・」とか

 

いろいろ考えていたんですけど、

 

案ずるより産むがやすし。(byきゃびい文豪)

 

でした。

 

考えるより、感じろ系の舞台だと思うこれ。

回数見た人がいろいろ解説するより、一回見た方が絶対わかりやすい。

しかしこのチケ難、私は考えた結果私の脳にはこれしか浮かばなかった。

 

ドラマシティ、狭すぎやしないか?

 

以上です。(おい)

 

今回雪組ローマの休日」と「ドンジュアン」に分かれているわけですが、

見事な振り分けっぷり。

「ローマ」には「ローマ」の役者がいるし「ドンジュアン」には「ドンジュアン」の

役者がいる。

雪組のゴッドプロデューサーはいったい何者なんだ・・・。

 

ということでうすーくなまあたたかーい感想です。

広い心と、若干の「あくるさん、わかってないね」な心で許せる方だけ

お読みください。いや、2回の観劇でこれを深い解釈できる人は

凄いと思う。なんか、凄いと思う。

 

私なんか一回目は一周回って、「ようわからん」っていうラインを

友達に送っていました・・・。

たぶん精神的に不安定だったんだろうね。

 

カリ様相手にした後「今日は疲れた・・・」っていう望海さんとかね。

(どうでもいいわ)

 

**********************

 

声量と歌の深み、オーラ、一幕のダメ男っぷり、

二幕の決闘に亡霊がおたんと渡り合う迫力。男・咲ちゃんまでもを

押し倒す「お前誰でもいいんかい(←冗談です)」っぷりや

女たちの弄びっぷり、女たちから寄ってくるんだから仕方ないだろ?のくらっちへの態度

何度も迫ってくるヒメさんを氷のような視線でシカトしたり

 

いや、どこをどう見ればいいのか私には到底無理な

望海さんがそこにいました・・・。

 

娘役を引き連れて踊ったりとか、比較的望海さんって娘役さんとの

絡みが多い男役だと思うのですが今回は、結構えぐい。

特に1幕。

 

これ、刺されても仕方ないわ。

 

誰もが諦めたダメ男ドンジュアンがそこにいた・・・。

 

エルヴィラ(有沙瞳)があそこまで歌って肌もあらわな、

とアンダルシアの美女(彫刻の腹筋)カリ様を歌うところとか

あの方タバコ吸いながらニヤニヤしてそして舞台の奥にアンダルシアの美女と

消えていきますからね・・・

 

「こんな男は嫌だ」代表、ドン・ジュアン。

 

最終的にラファエル(永久輝せあ)に刺されるわけですが

まあ1幕は刺されても仕方ないダメ男なわけです。そりゃひとこもキレるわ。

その「刺されても仕方ない男」を「演じる」「望海風斗」なわけですが、

私は個人的に望海さんの演じ方って憑依型ではない、という認識なんですね。

 

その演じる人と、役が一体化となってその役がそこにいる、というのが

憑依型であって望海さんはその形の演者ではない、というのが個人的な意見。

 

「アルカポネ」のときは裁判のシーンで「カポネさんが降りてきてた」とか

「そこにカポネさんがいた」とかまあ本人もカポネさんと交信してたし

そう言う意味では憑依していたのかもしれないんですけど、

基本いつも冷静な望海さんがいる。という役者だと思っています。

 

憑依型全員が演技がうまいっていう定義はないし、冷静型全員演技がなってない、

という意味ではない。

 

でも、今回はなんか違ったんですよね。

我を忘れている望海さん、いやドン・ジュアンがセビリアで生きているさまを

私たちはその地で見ているみたいだった。

なんなら、酒場でラファエルとドン・ジュアンが殴り合いをしているのを

ニヤニヤ笑って酒を飲みながら煽っているのかもしれないと

錯覚するほど(ニヤニヤ笑って酒をあおりもっとやれー!とヤジを飛ばし

ヒメさんとアイコンタクトをとっていたカリ様なのかもしれねえ・・・と思うほど)

 

ドン・ジュアンがそこにいるというのを感じたというか。

 

だから私たぶん混乱してわけわからなくなってしまったのではないかと

思います。知らない望海風斗がたぶんそこにいたからでしょうね。

戸惑ったというか、「この人知らない・・・」という恐怖というか。

いや、実際なんにも知らないんですけどね。(あたりまえです)

 

「ラストタイクーン」のブロンソンさんとは比べ物にならないくらい

「男の狂気」を感じたわけです。

女、酒、情事に溺れるドン・ジュアンを演じている望海風斗に

怖さを感じた。たぶん、あの感覚はタカラヅカを見ている感覚ではなかった。

次の日「NOBUNAGA」の龍さん見て「ああ、タカラヅカだ・・・」って

改めて実感して震えたもん。関係ないけど。(真咲さん見てちょっと安心した)

 

ドン・ジュアンは私にとっては外部の舞台だった。

望海さんはタカラジェンヌじゃなかった。

「望海風斗」という、役者だった。

 

「演者」でもなく「役者」あるいは「ドン・ジュアン」。

 

だから、2幕のマリアの胸の中で眠るドン・ジュアンに「人間になった・・・」感を

覚えたというか。

 

私から見ると、亡霊が人間で、ドンジュアンこそが化け物だった。

 

それがマリアの清らかな心と、飾らないふるまい、一心に仕事をする姿を見て

それが「亡霊の呪い」なのかはわからない、答えが出てないのだけど

マリアとベッドで眠るドンジュアンは人間になったんだなー、と安堵したというのが

本音かな。1幕より2幕の方が心穏やかに舞台を見つめることができる。

 

と、思っていたらどんどん怒涛の展開になっていって、

1幕では普通の人間だったラファエルがラファエル演じる永久輝さんの得意技

 

「ロケットはこっち見たらコロス、マジコロス」

 

のひとこの目線に思わず目線をそらしたもののやっぱり気になって

見ちゃったらアッサリ石にされたメドゥーサの呪いみたいな現象が起きたわけです。

若干新公学年で人をコロス目線をするひとこ、ただもんじゃない・・・。

 

その、クライマックスのドン・ジュアンとラファエルの決闘は

文字通りに表すと「マリアをめぐる決闘」なのですが、

私は「聖域の決闘」だと思う。と、いうか思いたい。

 

「女をめぐる決闘」というのは、タカラヅカにはよく出てくる状況で

ある意味「お約束」でもある。結局決闘かよー、の展開でもあると思うんだけど、

この「決闘」というか「死闘」を演じる望海さんと永久輝さんの

「生きるか死ぬかのギリギリゾーンの死闘」はある意味お芝居を超えてる。

っていうか、もう演技じゃないのかも。

 

望海さんがドンジュアンで、ひとこがラファエルだから。

 

だから、マリアは悲鳴も感情も出さず、ただ倒れたドンジュアンを

抱きしめて眠らせるのかもしれない。安らかに休んで、とでもいうように。

そこには、音は必要なかったとでもいうように。

 

結局誰が悪いわけでもなく、でもそれぞれ罪を背負っていて、

それを爆発させることもなくドンジュアンは「聖域」に踏み込んで、

静かに息絶える。誰もいない、静かな世界へ旅立ったのではないかな。

 

ドンジュアンの罪。

マリアの罪。

ドンカルロのやさしさ。

ラファエルのマリアへの純愛からの、恨み。

亡霊の闇。

エルヴィラの清く美しい心。

 

ひとりひとりのドラマがあって運命があって、そして終わっていく。

 

ドンジュアンの命の炎が消えた瞬間、ふっと、私たちは

熱く燃え滾るセルビアから現実に戻ることを許されたような感覚。

 

すべては亡霊が見せた、夏の1ページだったのかもしれない。

 

 

今回セットや振り付け、殺陣、なにもかもがピッタリとハマって

ドンジュアンという人物が作りだした世界にさらに魔法がかかった。

 

亡霊はドンジュアンの世界観を作り上げたがおたん(香綾しずる)の的確すぎる役作りで

圧倒的な存在感だったけれど、実は私たちにこの世界を見せた

生田先生こそ、亡霊なのではないかと私はふと現実世界に戻ると

感じるのである。

 

 

 

 

 

 

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