TRUNK DIARY -ナナメカラタカラヅカ-

宝塚見て早半人生。まだまだ未知の世界すぎて幸せ。

壮一帆の、「タカラヅカってええところやろ?」

CSを流し見していても、作業をストップさせて見てしまうのは今月は

間違いなく「前田慶次」と「My Dream TAKARAZUKA」。


特に何も見るものがないときも流してしまうのも、この作品です。


改めて上手くまとめられている作品だと思うし、トップサヨナラ公演で

お芝居とショーが何回でも見れる作品ってそうそうないと思っているので

(個人的には「トップサヨナラ公演」には期待しないスタンスです・・・)

間違いなく、この公演は神公演でした。ひと夏捧げても惜しくはなかった。


一年前の夏、神経や体力をすり減らして(金銭面でも)

通って悔いはなかった公演でした。ある意味千秋楽で力尽きてもいいと思えたほどの公演でした。


今見ていて思うこと、それは1年たった後でお前ずるいわ、と

言われようとも感じたのは「壮一帆の真ん中力のすごさ」です。


タカラヅカ101年の歴史で、この舞台の真ん中に立つ人間にこんなにふさわしい人物はいないと思うし、

個人的に「リアルタイムで見れてよかった」と思うトップスターの

3本の指に入ります。それほど私は壮一帆に惚れていました。


タカラヅカの男役としても、人間的にも、壮一帆は私にとって「尊敬」の位置になります。

ファンとか、贔屓とかの言葉ではちょっと表せない。「尊敬」です。

ファン、贔屓の域を脱していたのかもしれません。「神」と言ってもいいのかもしれない。


私が壮一帆に興味を持ったのは花組「タンゴ・アルゼンチーノ」新人公演の映像からです。

壮一帆はアメリカ出身のマイク役(本役・春野寿美礼)でした。

ひょろっとしていて、顔が小さくて「長い」印象でした。全体的に長かった。


カルフォルニアの青い空!」


とあの笑顔でからっと笑って、幽霊船メンバーをまとめる役所。

春野さん本役なので歌のナンバーの中心なのはもちろんで、まだまだそこまで

歌唱力に定評がなかった中での春野さんの役は本人にとって結構なプレッシャーだったと思います。

花組には同期の蘭寿さんがいて正直、ライバルとまではいえない立ち位置でした。

これは壮さんがどうこうじゃなくて蘭寿さんがあまりにすごすぎたと思っています。


同期だけれど、もうレベルは歴然としている。


この状況で(蘭寿さんが花組にいる状態で)新公主演を花組でやることは無理だなと思っていたので

その時はなんにも感じなかったんです。結果を見た気でいたんですよね。

タカラヅカって、何が起きても不思議じゃない場所ということをその時はまだ知らなかった。

蘭寿さんがいるから全員無理、と決めつけていた自分がいました。

壮一帆の可能性を信じていなかった自分がいました。

ただぼーっと舞台を見てただけ。周りの情報や役付にすべてを見た気でいました。

今思うともうちょっと自分の目を信じていればよかったのに。

それは結果論といわれればそれまでなんですけど。


今でも私は、あまり自分の目に自信を持てているわけではありません。

ただ、その時の思ったことを素直に言ったり書いたりしようとは前よりかは思っているかなとは

思っていますが。話がそれました。


そこで壮一帆、一度目の雪組への組替え。正直思いましたよね。


「これは栄転だ!!!」


と。でも、思った通りといえばあれなんですけど新公主演を勝ち取った壮さんに

周りは不安な意見が多かったように思います。


蘭寿さんはやって当然という雰囲気なのに、壮さんは当然じゃない。というような

劇場の雰囲気にのまれそうになりながら雪組「愛燃える」新公を見ました。

今でも当時の劇場の雰囲気を思い出すことができます。

はっきりいって、当時のトップの轟さんとは見た目もカラーもまったく違いましたし

また当時の壮さんも「王」という雰囲気は全く持っていなかったと思う。

せいぜい「王子」、いや、「主従」くらいの存在感・・・王を慕う役程度の存在感だったと思います。


でもそれは幕が下りた瞬間間違いだったと気づきました。

私は勝手に決めつけていた。「壮一帆はその程度」だと。


「ひょっとしたら化けるかもしれない」

「もしかしたらすごい新公になるかもしれない」


今ならそういう気持ちで見れると思います。一年前の夏、私は

「慶次」を見る前その気持ちで見ることができました。


私は壮一帆を見ると自分の人間としての小ささにガッカリします。自分自身に。

「愛燃える」新公を見終わって呆然としていました。


「これが真の真ん中力」

壮一帆の本気という名の実力」


ひょろっと細長くてぽきんと折れてしまいそうな体をしているのに

力強くて意志の固い「王」、轟さんとは全く違ったアプローチで

壮一帆が主演を演じるとこうなります、どうですか!」と

全力で客席に問いかけてきました。壮一帆に迷いはなかった。


自分の信じる道。過信ではなくそれまでの努力。そして、ついてくる結果は間違いはないはず。


その壮一帆の問いかける舞台を、私はそれから12年間見るたびに

感じることになります。研7でそう問いかけてきた壮一帆に、研19で卒業するまで

ずっと終演後その答えをまざまざと見せつけられてきました。


努力ってなかなか報われなかったり、これしたって何になるんだろう、とか

努力してもなんにも生まれないじゃないか、とか思うことが多かった私の人生に

壮一帆は舞台を通して全部言ってくれた。


タカラヅカって、努力しても報われないこと、結構ある。

必死にレッスンに通っても先生の目に留まらなかったり使ってもらえなかったりとか

そういう話は日常茶飯事に聞くし、長くファンやってるとそういうこともわかってきちゃうっていうか。

「もうちょっと頑張れば」って思っても「まあ、頑張っても無理だろうな」と

思うこともあるにはある。なんでっていう人事は101年続いていてもしょっちゅうだし

時々信じられないことをやる劇団ということもわかってる。


でもその一方で、聞いてくれるときは聞いてくれる劇団だとも思うからやめられない。

「機械のように無情に思えて、実は心の通っているところも見せる劇団」


宝塚歌劇団を動かすのはファン、諦めずにずっとこの舞台を見ている人だと信じたい。


だから私はやめられないんでしょうね。このファン生活を。

中日劇場で「若き日の唄は忘れじ」を見た終演後、やっぱり壮一帆に問いかけられました。


「宝塚ええところやろ?」


と。


実は第二次壮一帆花組時代を、壮一帆の一番輝ていたであろう二番手時代も

まとえりコンビの素晴らしさも私は知りません。後から聞いたり、舞台映像を見たりで

この目では見ていない。


蘭寿さんがトップとして組替えしてきたとき、壮さんってどんな気持ちだったのかなと

想像するだけしかできない。実際舞台を見ていればきっとなんらかは感じたはずだから

また違った目線で見れることも出来たと思う。


でも、なんの先入観もなく「若き日」を見れたことで、私は救われた気がする。

それでよかったと今では思える。


「トップとして堂々と光り輝く壮一帆」を純粋に見れる幸せをかみしめることができた。


第二次花組時代を見ていたら思いは二倍であろうけども、

私は壮一帆がそれを乗り越えてきた、という結果論だけでよかった。

時にはそういう感情も幸せなのではないかと思える。


トップというのは、初めてみる人にも「この人が主人公なんだ、さすがだな」と

思わせる義務があると思う。その「義務」をこなせるのは、それだけ積み上げてきたものが

なければ光り輝くことができない。


その「義務」をこなせる「努力」の「工程」を見る、見ないかはファンの自由。

私は壮一帆の問いかけだけですべて見たと感じたから、あえてまとえり時代を

絶対見なければならないとは思わない。ずーっと遡っていくのもありだと思うし

ただ今を楽しむのもあり。それは個人の自由であるから学校の勉強の「復習」とはちょっと違う。


今でも迷った時には壮一帆の舞台を見る。

壮一帆は自分の苦労を「私ってかわいそうでしょ」「苦労してきてつらかったんだ」と

いう発言はしないし、舞台でもそれを出さない。


それはタカラジェンヌ全員に共通すると思う。


「私ってずっと日陰」とか、「今日もすみっこでライトが当たらない」とか絶対ない。

諦めている人なんかいない。努力が報われなくても別にいい、っていうくらい輝いている。

タカラヅカファン第二シーズンのきっかけを作った「ロミジュリ」の真風涼帆の「死」で

ちょっとずつまたタカラヅカに興味を覚え、「若き日」の壮一帆に思わされた、


タカラヅカってええところやろ?」。



私はこれからも「努力」しか知らないタカラジェンヌを見続けていきたいと思う。



そのきっかけを作ってくれた壮一帆のサヨナラ公演を見ながら思う夏の夜です。