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宝塚歌劇団=今の自分を受け入れてくれる場所(あーだこーだ言ってるけど結局宝塚好きって話)

GWです。特に予定があるわけでもなく映画を狂ったように見続けているのですが

TSUTAYAの新作どれでも5本1,000円の魔法の言葉に…!)

生田斗真くんと広瀬すずちゃんの「先生!」は夢の組み合わせすぎて

(生田くんみたいな先生いたら存在がもうネタだな)

(すずちゃん死ぬほど可愛いな)

(っていうかすずちゃんがあんな告白してきて何もせず返せる男の人はいないよね)

(伊藤先生は正常だよ)

(生田くんの伊藤先生さいっこう!!!!!)

などと大人の邪念を追い払うような(どこが大人なのか?)

清く正しい「先生!」でした。

「先生!」の頃の別マ、私読んでないんですよね。「僕等がいた」も

結局読んでなくて(「潔く柔く」も読んでない。

別マのヒット作って意外と読んでないな)

実は別マだと椎名軽穂先生くらいしかハマってないかも(それでも「君に届け」も

風早くんと爽子がくっついた時点で私の中では終わった)

(最近最終巻が出たのでもう一度読もうと思ってます←チョロイ)

 

安心してください、最終地点宝塚の話です(まだ続くマンガの話)

私自分が集英社っ子だと思ってたんですけど、

最近小学館しか読んでないなって気づいた。

たぶんクラスの子とキャーキャー言いながらマンガ読んでたころのことが

楽しくて(世界はりぼん発売日とジャンプ発売日中心に動いてる)

自分は集英社っ子だと思ってたんですけど、

高校生くらいの時さいとうちほとか篠原千絵小学館のドラマチックな

(宝塚っぽい)作風にハマり、集英社の「学園ものコメディ」に

満足できなくなった。あと思ったほど高校生活が楽しくなくて(笑)

学園ものがすっごく遠い世界に感じてたかも。

この頃から宝塚を見るようになって、朝から夜まで非現実の世界の住人に

なってしまって(・・・)

 

なんだかんだ、「ベルばらは神」と思っている人種なので(植田版じゃなくて

池田理代子先生のは本当に神。私、あれでフランス革命への意識が

ひっくり返った。マンガの話的に面白いと思うのは

オスカルだけどだんだん「フランス革命」の方に興味がわいたタイプなので

マリーアントワネット中心の話がすごく面白くて。

なので生田先生の話が「生田www」って思いつつ、心の奥底では

「めっちゃわかる…わかる生田君…そう!!そこ!!!」ってなる。

 

私の植田爺の実はすごいって思うところは

宝塚でベルばらをやろうって思って実際にやってくれたところ。

 植爺があの時ベルばらをやってくれなかったら宝塚続いてなかったと思うし。

ベルばら成功の名声とお金(大事)が阪急のお荷物だった歌劇団

救って、ちゃんと人を育てたっていうのが100年以上も続く劇団のすごさだと思う。

 

 と、ここまで書いて「私これを言いたいんじゃなくて」感が強いんですけど

(だって記事のタイトル名書いてあるんだけどまだたどり着いてないんやで)

 

私の中の「楽しかったマンガ本誌」は「りぼん」で、私の「りぼん」って

今読むとものすごく重くてしんどい、精神論のこどものおもちゃ

全部が新しくて「今こんな生活してみたい」「生徒会に入りたい!」

(実際行った高校の生徒会は入りたいと思う生徒会じゃなかった)って

思った天使なんかじゃない

大人っぽくて私も大学生になったらピアスして髪切って

かっこいい男の子と恋愛できる!と思ってたママレードボーイ」が三本柱だった。

ずっと楽しくて何度でも繰り返し読めて、毎回ドキドキして

次はどうなるのかなって空想し続けた世界が私の子供の頃の

「時間を忘れる自由でいられる場所=りぼん本誌」。

 

でも私はりぼんを読み続けられなかった。好きな連載は終わるし

私自身がいろいろなことを経験して、りぼんがつまらないと思ってしまった。

大好きだった作家はいつかもう「ちょっと幼いな」と感じてしまって、

自分の今の感情に合ったマンガに興味が移っていく。

高校生になった私は、「ベルばら」を読んでフランス革命にハマり

宝塚を見て、史実の本当にあった話に「作り物」を混ぜ込んだものに

夢中になった。

 

それが今でも「完全フィクション」の世界じゃなくて歴史ものが多い

宝塚が好きな理由だと思う。帝劇とか海外ミュージカル、

四季も見たけれど自分の時間とお金を使いたい舞台は結局私は宝塚だった。

 

いつまでも少女じゃいられなくて、生活は変わっていく。

だけどずっとそこにあるのが「宝塚」で、自分が変わっても変わらない。

確かにスターは変わっていくし、スターが変わらなきゃたぶん飽きる。

だけど男役さんはずっとかっこいいし、娘役さんはずっと可愛い。

踊るダンスがヒップホップになったりするけど、デュエットダンスの優雅さは

変わらない。話は悲劇もあるしコメディもある、ミュージカルもあれば

ストレートプレイもある、時々落語があってだいたい芝居があればショーがある。

銀橋も大階段も必ずあるし、トップスターは突然「じゃ、今回は脇になります」とは

ならない。(個人的にこの制度はすっごく安心感がある)

 

人は変わっていくものだし、変わらなきゃいけない。

ずっとりぼんで満足できればよかったけれど、私は別マや別フレも読みたくなったし

大人になったらプチコミックもデザートも読むようになった。

いつまでも学園ドタバタコメディだけで満足できなかった。

 

宝塚も当然変わってる。私が見始めたころ人気だった

柴田先生や正塚作品はめっきり減り、

同何代の女性で同じものを吸収してきたであろう小柳さんや

いつも興味がある分野を書いてくれる生田くん、スターの新しい場所を

引き出してくれるサイトーくん、異端児で革命家の上田くーみんが

新しい宝塚を作ってる。

 

今の自分と同世代が作品を作るようになったというのも今の宝塚が

好きな理由のひとつかもしれない。

10年後には若手が作った宝塚を見て「こんなのは宝塚じゃない」と

思ってるかもしれない。でもそれもわからない。もしかしたら

ずっと面白いエンターテイメントコンテンツになってるかもしれない。

 

宝塚はずっとそこにある。梅田から阪急に乗れば必ずある。

座席に座って3時間は絶対に夢から覚めないし、そこで出会った人とは

時間を忘れて話ができる。学歴も仕事も関係なくずっと好きなことを

話していればいい。

 

いつかマンガ本誌は連載が終わるけど、宝塚は終わらない。

(そもそも宝塚は連載っていうより大作の読み切りが毎回載ってるって感じだけど)

 

私にとって宝塚とは何なのか?と考えたけど、今も昔も

「今の自分をいつでも受け入れてくれる場所」だと思う。

見て、わーって感動して、「あれ?あたしなんであれで悩んでいたんだっけ」って

思いたい。「まーいいや。たこ焼き食べてプログラム読んで感想書こ」ってなる場所。

 

っていう感じなんですけど、明日のライビュ。

急に時間ができてがっついてぴあ見たら当然ソールドアウトだったんで

宝塚、夢見せてくれるけど現実そうも甘くないで!!って

実感させてくれる場所でもあるんで好きかもしれないな~~~って思う。

 

自分どんだけMなんだっていうことと月組見れない悔しさで凹んでいる土曜日です。

(TLがバッディ一色なんだよう~~~話についていけない寂しさと悔しさ…

楽しそう…ああっ!!!私はバカなのか!?

バカだと思います。