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天国に届け、望海風斗「そばにいて」。祖母への感謝の記事。


ここはタカラヅカブログなので、タカラヅカのことだけ書くべきだと思っていますが

今日はちょっと私情を挟みながら書かせていただきます。ご了承下さい。



一昨日、祖母が亡くなりました。
祖母はバイクでパチンコに通い、髪はレインボーでド派手な服を着て
孫の運動会に現れたりもする自由奔放な人でした。
でも、誰よりも人に愛され、家族に愛され、「ありがとう」の気持ちを忘れない人でした。


謝る人ではなくお礼を常に言う人でした。


私がタカラヅカを一番見たくて仕方がなかった頃が祖母の全盛期で、
学生時代私がバイトしてそれでもお金がなかったときちょいちょいと手招きして

「お母さんには内緒だよ。これで行ってきな」

とお金をくれたのが忘れられません。
後にも先にもそれ一回きりですが、祖母は感動と、申し訳なさとで泣きそうになっている私の頭を
ぽんぽんとして「これじゃ足りないの?」と笑っていました。

そのお金は、使えるはずもなく今も大切に引き出しに入れています。


家族ではタカラヅカの話してもうんうんと聞いてくれたのも祖母だけでした。
もう認知症が始まってて、今思うときっと私が早口でまくしたて
タカラヅカの話をしてても全然意味がわかってなかったと思いますが
(といっても私が話すことはすべて宇宙語である、というのがうちのデフォです)
「楽しいんだねぇ」「綺麗だろうねぇ」と繰り返してくれました。

後半は意識もなく、ご飯も食べれなくなりただ心臓だけが動いている状態でしたが
それでも会社帰りに寄ると

「おばあちゃん、今度の週末梅田に行くね。お願いだからまだ逝かないでね」

と言うとニコッと笑ってくれた気がしたのは私の幻だったのかな。
妹も、

「私を「アラジン」に行かせてね。まだダメだよ」

と話したと聞いて、本当にワガママな駄目孫だよねぇと笑えたのは
祖母の人柄でもあったと思います。

まだ在宅介護で、自由に歩ける頃はアルバムをそのままにしておくと
勝手にチョキチョキとやられたり、TCAプレスに落書きされたり。

かなめさんのオスカルにぐるぐるホッペを書かれた時は
「もー!おばあちゃんー!」ってなったけど、それもいい思い出です。
ボケても、えへへ、ありがとありがとと言い続けていました。



祖母はもう無意識だったと思いますが、
私が部屋で大音量でタカラヅカを流していると「すごい音だなぁ」といいながら入ってきて

「すごいいい歌やねぇ。綺麗な歌声やねぇ」

と音楽もエンターテイメントには全く興味がなかったのに最初で最後言ってきたのが
タカラヅカディズニーの望海風斗の「そばにいて」でした。

「この人私が好きな人なのよ、すごいいい声してるよね」と反応してくれたことが嬉しくて、


私はまた時間の許す限りタカラヅカの魅力、望海さんの写真を見せながら
ずーっとタカラヅカについて語っていました。
祖母はニコニコと黙って聞いてくれて、最後
「まあ、私にはわからんけど」と言いながら2人でずっと
「そばにいて」を聞いていました。

それが、祖母と初めて同じものを聞いて初めて感動を共有できた最初で最後の出来事でした。


どうして、一緒にタカラヅカ行こうかって提案できなかったんだろう。
チャンスはいっぱいあったはずなのに。
タカラヅカじゃなくても、映画とかなんでもいいから、祖母となにか話したかった。
子どもが大人になったような人だったから、タカラヅカのロビー行くだけで
大はしゃぎだっただろうに。
羽根を背負いたいって言ったら、殿堂も一緒に行って写真撮ってあげたら喜んだだろうになぁ…
派手なことが好きな人だから、タカラヅカ見たら目をキラキラさせて

「なんでもうちょっと早く連れてきてくれなかったの」

くらいは言ってくれたかもなぁ。

そう思うと、人間生きているうちに誰かと何か見るってこと、
感動を共有することって人生で大切なことだよな…と涙が止まりません。

入院したとき、祖母になにも出来ない、と諦めてた自分にタイムマシンで戻って
「まだまだいっぱいあるよ」と言いたい。
祖母には迷惑だったかもしれないけれど、それでも会いたいと思ったらそこにいたのに。


納骨はまだなので、祖母のいる場所で「そばにいて」を聞きながら
お手紙書こうかな。おばあちゃんこの歌声綺麗だねって言ってくれたこと、
覚えているかな。私はちゃんと覚えているよ。


おばあちゃん、今頃天国でパチンコ打ってるかな。
勝てたらそのお金でタカラヅカ行こう。
え、割り勘だよ。
あと、次会えたらあのお金返すからね。
渡しそびれてごめんね。私はもうちょっとこの世界で頑張るから、見守っていてね。



今できること、すべてに感謝しておばあちゃんの口癖だった
「ありがとう」を忘れずに生きていくね。