大好きだった学生時代の現代文の先生が、
「文章というのは、中身ではない。中身が書けなくても、
書き続けることによって埋まることがある。俺の授業は、課題が多いと
みんな言っているようだけど、君たちをいじめるために書かせているわけじゃない。」
という言葉が残っています。学校ではそんなに人気がなかった先生だったけど、
私はその先生の言葉にめっちゃくちゃ感動して、バカみたいに文章を
書き続けていました。私でも埋まるもの、あるかなーみたいな。
結局文章を仕事にはしなかったし、そもそもそこまで才能もないし
「文章を別に書けなくてもできる」仕事に就きましたが今でもその「何かが埋まる」という
言葉をどこかで信じてこのブログを書いています。
その「何か」って何だろう、とは思いつつも、「いーや!書き続けることに意味がある!」と
開き直ってたぶん親が見たら心配するような文章を書いています。
最近はツイッターというまた別のツールの文化が著しくて、
もともとナマケモノ傾向のある私はツイッターという手軽で便利なものに便乗して
ブログはちょっとしんどい・・・と思う時期もありましたが最近
更新できるようになったのは、「ブログ、面白いです!」とダイレクトに伝えてくれた
友人と、感性が研ぎ澄まされていて尊敬できるブログを書いている友人、
私の独り言のようなラインを聞いてくれる友人、会って話を聞いてくれて笑ってくれる友人・・・
「タカラヅカ」がなければ出会えなかった「人」との会話を埋めるツール
と思い始めました。
私はなかなか劇場へ足を運べない地方ユーザーのため、
「今日の舞台はこうだったよ!」とか「今回の○○さんいいよ!」とか、
そういう風に報告してくれる友人の言葉もとっても嬉しいし、
実際私が見て「○○で○○だと思うんだけど、これ間違ってるかな~?」というと
「私は○○だと思ったな~」と意見を交わせる友人もありがたい存在。
ネタにしてお互い笑いあっているときも楽しいし「私はこう思うんだけど~」という
異論を重ねるのも面白いし、どうしても見れなかった博多座公演を見て
「新撰組はこうやんか~?星影はこうやってん」と(どうやら同じ「新撰組」という沼に
身を置いていたらしいSさんの)感想を聞くのも面白いし、
同じ贔屓を持つ友人が「今日の望海さんはこうだったよ!!!」ともう公演後すぐに
ラインくれるのも嬉しいし、ブログの感想を言ってくれる友人も涙、涙のありがたい存在だし。
最近はツイッターで「ブログ面白いです」とか「読ませていただきました」とか
リプいただけるだけで「あんな長くてしょうもない文章を・・・ありがとうございます・・・!!!!」と
こちらが土下座したくなるようなことを書いてくださる方もいて、
本当に私の周りにいる人全員にありがとうございます、ありがとうございます、と
頭を下げたい衝動に駆られている、このブログを「中身はなくてもできるだけ
頻繁に更新しよう」という原点回帰の結果です。
特に今回の「アルカポネ」梅田遠征でそう思いました。
ツイッターでいつもリプくださっていた方にお会いできたのも
「本当に読んでくださっているんだ・・・」じゃないですけど(笑)別に疑ってたわけじゃないんですけど、
なんかじーんときたものがあって。「観劇のおともに」ってタブレットくださって
お手紙までもらえてしまい、もう梅芸の前で泣きそうになりました。
あのときはありがとうございました。
そのあとで、話が以前から盛り上がっていた方ともDC前で初めてお会いして
私のことめっちゃくちゃ詳しく知っててびっくりしていたら
「ブログに書いてあったじゃないですか~!!!」って笑ってくださるので
本当に文章を書くときは一語一語責任を持たなきゃいけないな、じゃないですけど、
嘘を書けばバレるというか、伝わっている人には伝わっているぞ、と覚悟したというか。
文章を書いている人ってそういう「責任」「覚悟」がないとダメなんだな、と思ったし、
そして、この宝塚だけじゃなく、趣味のことを(特にエンターテイメント。
映画とか、演劇とか))書いている人は
「自分が心の底から楽しまなくては「書き続け」られない」ということをひしひしと感じました。
これは私が感じただけなんですけど、プロの劇評家は「仕事」なのでそこは
割り切って書かなくてはいけないと思うんですね。それこそ公式誌で「劇評」を書く人は
とっても冷静な部分を持ち合わせてならなくてはいけないと思うし、
「キャ~、○○さんカッコイー!!!!!」というミーハーで公平ではない
私情を挟む劇評ではダメなんだよな・・・、と思うし。
厳しいところはきっちりと書いてほしいし、私みたいな地方ファンやいろいろな事情で
見に行けないファンも「ほほう、そういう劇なのか。」
という基準になる文章を書いてほしいと思っています。
でも難しいですよね、演劇も、「俳優」というジャンルからいえば映画もですけど
「どうしてもあんまり好きになれない作品を作る演出家」「監督」「作家」「俳優」
人間だからいるの当然です。対人間だもん、いて当たり前です。
かくいう私もこのブログを書いていて、
「楽しかったのはわかるけど、「楽しかった」だけじゃないですよね?」
「この○○っていう表現からもっと違うこと感じたんじゃないですか?」
「もっと自分に正直になったほうがいいですよ。」
「それを表現したジェンヌさんのファンのことも考えて」
というメッセージをいただいたときは厳しさに「う~・・・だって本当に楽しかったし
そういうつもりで書いたわけじゃなかったんだけど~・・・」って正直思ったのですが
(そしてもっと正直に書くと「私プロじゃないし~・・・」とも思いました。すみません)
劇評を書くならば、最後まで責任を持たなくてはダメなんだ。
「○○さん超かっこいい!!!」「ウインクもらって死んだ!!!」「もう戻れない!!!」
が楽しくて、仲間内で語るのが面白くてそれでいいじゃんって思うけど、
中途半端に劇評を書くと違った意図が読者様側に伝わってしまって、
「あくるさん○○だと思うって書いてたけどここ違うな」
「あくるさんが言うほど○○じゃない」
という「なんだか違う」感が生まれてしまい、そのテンションが見た後私のせいで
「あー、楽しかった!」ではなくなるのかも・・・というのがあるので、
それなら批評書かずちょっと「?」って思ったことも流してとことんエンターテイメント!と
自分が苦しまず、受け取る側も嫌な思いもさせない「私なりの劇評」を目指して
ここのところは書いていたつもり。だったのですけど、だからその時メッセージを
くださった方にも「そうですよね。」と返事を返したんです。
本当にその気づかせてくださった方のメッセージ、ありがたかったし、
人の足りないところを正直に書く、とか注意する、怒る、のもわりと勇気がいることだったりします。
実生活で後輩がミスして怒らなくてはいけないことを怒るのはつらいですし、
それを何回もされたら正直「・・・」となります。「何回いわせるんだよ・・・」と。
なので、二度とそういうことを指摘されないよう、思わせてしまうことがないよう
ここ最近は書いている・・・つもりで書いています。まだまだですけど。
久々に「宝塚歌劇」を見て、それだけでわりと感動していた「アルカポネ」。
ツイッターの感想や客観的な劇評を見かけると「ふむふむ」と読み込んでしまう作品
なのですが、結構賛否両論なようで「そうなんだ~」と思ってそれも踏まえたうえで
もう一度見たいな~って思う作品なんですね。私的には。
「もう一度、はもういいかな~」って思う作品も結構ファン歴もちょっといってるので正直あるのですけど、
まあ、贔屓主演というのもありますし、賛否両論あると「そうなのか、ではもう一度」と
思うのが私という人間です。しつこいんですよね。根が。
それが吉と出るときも凶と出るときもあるのは悲しいのですけど。
例えばの話なので、聞き流してほしいのですが
そこで、多大な影響を与えるツイッターのアカウントさん、もしくはブロガーが作品に対してや、
それを演じているジェンヌさんの演技について「良」か「悪」でいえば「悪」の評価で
「真っ向否定」に書くと、それを見ていない「宝塚歌劇団」に興味があって
フォロワーさんや読者になっている「受け取る側」に
「そうか、この作品面白くないんだ~。じゃあ今回はやめとこう」
となった時がいっちばん悔しいと思うんです。ていうか、私は悔しいです。
「タカラヅカ」というジャンルはちょっと敷居も高いといわれるし、
まあチケット代だって安くはない。頑張らなきゃ見に行けない!という値段でもないけれど
ちょっと余裕のある、まではいかなくても趣味に投資できる生活ができてないと
無理だな~、とリア友にも言われてます。散々。
そこで、その環境が整っている中で
「これ、見るのやめとこ。みんな(と思わせる巨大アカウント)あかんっていってるし」
と思わせるツイートや投稿はそのアカウント主やブロガーはどういうことを
思って書いているのかなって私は疑問に思います。
宝塚が好きなら、まあ100周年のようなチケット難はちょっと勘弁してくれと
思うことは事実な気もするんですけど(苦笑)好きなら、拡散させたいというか、
「見てみてよ!面白いから!!!!」ともうほんと両手手招いて沼に誘いたいんですよね。
なぜか、宝塚ファンってそうなんですよね。
「え!?あの人贔屓!?私も!!私も!!!!」とか熱弁しちゃうし(実体験)、
「えっ、見に行きたい!?いや、チケットがない!?大丈夫、とるから!!!」
ってめっちゃ人気公演でファンの間でもチケット難なのにチケットとるよっていうし(実体験)
タカラヅカファン全体的にめっちゃ良い人の集団なんですけど、
「好き」という思いが強すぎて、そしてファン歴が長くなるにつれ内輪感覚になり厳しくなるというか。
私もこれは該当すると思うので大きくは言えないのですが
「○○作品だから、あかんねん」
はやめようと思います・・・。私もよく言うし、みなさんもあかん作品に対して最後はこう思うと思うし、
なのですが
宝塚、そんなに浅くない。
ベルばらだろうが、風共だろうが(おっとこれでばれちゃうぞ)いいと思う人は
いいと思うしその時代時代のスターが命削ってやってるのはもう100周年の再演祭りで
もうほんと実感したので、宝塚やめらんねーんだよなー!(のび)なのです。
なので、今回の「アルカポネ」が「だからダーハラは・・・」というツイートや投稿を見ると
「いや、一概には」と思いますしまあそう思う過去の事実もあるのですが
「ダーハラだから、見に行く気ないわ~~~」
は悲しくなるし今回のアルカポネ意外といいかも、よっ、とは思っちゃうんですよね・・・。
なんのジャンルでも
「自分の目で見なければわからないし、自分の目で見てそれで思ったことを素直に書くにしても、
受け取る側を失意させるようなことを書いてはならない」
ということが私のブログのテーマで、そうでありたい、むしろ、
「この人がこう感じたこの作品見たい!!!」って思ってもらえるブログにしよう、
と決意も新たにする、お仕事が休みでパリ(西)に行きたかったけど体調不良で
諦めて(周りに迷惑な咳をまだこじらせている)暇人が戯言を言いました。
少なくとも、私が尊敬して拝読させていただいているブロガーさん、
フォローさせていただいているアカウントさんにはこういった思いを思ったことは
一度もありませんし、ライン等ででやり取りしている友人各位には迷惑はかけているかもしれないけど
楽しい宝塚ファンライフを一緒に送らせてもらっていると思っています。
いつもありがとうございます。これからもどうぞよろしくお願いします。
長くてすみません。自分の過去記事を読んでいて
「これ書くってどーよ?あくるさん」
と思った節もあったので自分に言い聞かせる意味もこめて書いてみました。
まあ、この記事自体が
「これ書くってどーよ?あくるさん」
なのかもしれないな、と思いつつ。いや、文章難しいわ。