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雪組「アルカポネ」。望海風斗の演技が、「主演」の意味を教えてくれた。

■天国のアルカポネと通信できる男 望海風斗



前の記事であーだこーだ言いましたけど、最後のラインナップで

両手を広げて中央に登場した瞬間私は涙が止まりませんでした。


「VJ」のときとは明らかに違う興奮と高揚感。

初DC、初東上、初2番手価格のお値段・・・「主演」望海風斗。


見る前から私見た後どんな感情を持つんだろうな~、とはぼんやり思っていたんですけど

それ以上の感動でした。自分がこんなに感動するとは思わなかった。

感動もしたし、感無量だったし、真ん中でキラッキラのイタリア人メイクの望海風斗

見た瞬間、ぶわっと来て・・・ここまで来てくれてありがとう。そんな気分でした。


最初、無理やり連れてこられたヘクト(永久輝せあ)を迎える瞬間。

そこには「主演」望海風斗がいました。

誰よりも強いスポットライトを浴びて、浮かぶように暗闇から現れた、

アル・カポネ」望海風斗。一目見た瞬間「シカゴの闇社会のトップ」オーラがすごかった。


登場した瞬間すでに、アルカポネ。


望海さんはスタートダッシュが早いと思う。

それは、将来あの2000人入る劇場で主演を張るようになったら

否が応でもなくてはならないスキルだと思うし、

その座を狙うスターならできて当たり前なのかもしれないけど

それでも望海さんは引き込ませる芝居のスタートダッシュが早いと思う。


「さあ、物語を始めよう」


そういって舞台の奥へ消える、アルとヘクト。

その背中は「ようこそアルカポネの世界へ」と語っているようだった。

望海さんなんだけど、望海さんではなかった。

私たちの知っている「望海風斗」であるが「これからの物語へ観客を誘う主演」望海風斗。


新公でもなく、バウでもなく、DCという場所で主演をする意味。


それが背中にあふれてて、重圧もプレッシャーもはねかえすような

大きな存在を感じた。もうこの人の舞台はここではないのかも。


もっと大きな場所なのかも。


ふと、そんな風に感じずにはいられない背中。

この人の未来ってどうなるんだろう!と思う真ん中になるのは大変なことだと思いますが

私はもう見えた気がした。この人の立つ場所、もっと大きな場所。

DCがもし、ヤンキーススタジアムでも私はさほど不思議に思わないかもしれない。


この人に相応しい場所が、ここであってここでない。

「主演」だから真ん中に立つのが当たり前。

なのだけど、存在だけでそれを感じさせる説得力を持つ。

それは、ほんの一握りのスターが持てる「力」だと思うのです。


ファンの贔屓目かもしれないし、痛いなって思われるかもしれない。

けれど、今回感じたのはそれ。


望海風斗のために書かれた、「アルカポネ」という作品。


何を書いても傑作を書ける演出家はいない。

全部アタリを書ける作り手はいない。という持論なので、それが


「だが、原田君」


の原田君でも、そうでなくても宝塚の場合責任は「その芝居の真ん中」が

負わなければならない。


「アルカポネ」という作品がどこまでの力を持っているかは

私は専門家ではないので「好き嫌い」で測るしかないけれど、

「望海風斗の作り上げた「アルカポネ」」は最高だった。それだけは自信をもって言える。



アルカポネが憑依した、と表現するのが役者に言う最高の褒め言葉なら、

望海風斗に「あなたはアルカポネでした」といいたい。

実際アルカポネに会ったことはないし、知り合いでも友達でも子分でもないけれど

絶対に「アルカポネ」だった。


義理人情に厚く、妻と子どもを愛し、仲間を愛した世紀のギャングスター。


多少の「宝塚ヒーロー」にされているところもあるのかもしれないけれど、

それが「アルカポネ」なら望海風斗は「アルカポネ」


何をやっても「上手い」人はいっぱいいるけど、「魅力的」にする役者は一握り。

宝塚のスターはその人物を「魅力的」にするちからを持っていないと

「宝塚の芝居」はできないと思う。


「これをやれ」、「はい」、の世界。


そう返事をするしかない世界だからあとは自分で作り上げなくてはならない。

ある程度は助けてくれる。音楽だったり、お衣裳だったり、助けてくれて隣で輝いてくれる人であったり。


でも真ん中に立つとは、「自分でも発光する」力がないとダメという意味でもあると思う。


スポットライトがいらないくらい輝かないと「主演」にはなれない。

でも、アルカポネを演じた望海風斗はちゃんと「主演」だった。


顔に傷をつけれられたスカーフェイスはDCの真ん中で輝く。


その場に居合わせられた幸せを噛みしめて、私は号泣した。


考えてみれば、千秋楽にアルカポネと交信した望海風斗は何にも不思議などないのだ。

きっと、本人には本当に見えていたのだろうから。


私はネタにしつつも、「実在した人物」を演じた極地になると役者ってそうなるのかな、

そう思い出しながら「DC初主演」の文字を見つめる。


「憑依演者」であり「タカラヅカスター」であり「真ん中である意味」も

望海風斗が教えてくれた舞台。





それが、私の「アルカポネ」。