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星組「かもめ」。優しさと残酷な世界で生きる、礼真琴。

「私はかもめ」


物語の終盤、ニーナは何度もこの言葉を繰り返す。不思議な言葉だ。



と、いうことで礼真琴主演星組バウ公演「かもめ」を見ました。

CSですが、その舞台は「タカラジェンヌ」というより生身の「役者」の激突ガチンコ芝居劇。

華やかさを一切使わず、ただ淡々と続く、「演劇」。

バウだからこそ、その時の星組メンバーだからこそできた、「かもめ」だと思います。


まず、私はロシア文学をそれほど理解できる脳を持っていません。

芸術性を重んじ、名前が難しく、展開も集中して見ないとあっという間に

置いてけぼりにされてしまいます。ロシア文学といえばの「罪と罰」さえ最後まで

読めなかった女です(本当にわからなかった・・・)


けれど、このタカラヅカ版「かもめ」。


難しくて敬遠していたロシア文学を見直すいいきっかけになりました。

台本もあまりなじみがないセリフ(特にアルカージナ(音花ゆり))が多くて、

聞き取るのがやっとの状態です。そして、アルカージナという女性も一筋縄ではいかない、

癖のある「ママ」。自由奔放で、自分を中心に世界が回っていると思っている。


そして、コスチャというただ一人の息子に恥をかかせたことを、最後までわかっていない。

その一方で自殺未遂を図ったコスチャに優しく包帯を巻いたりするので

この人は一体どっちが本当のアルカージナなのだろう・・・


この小柳版「かもめ」は「優しさと残酷は紙一重」がテーマだと思いました。


メインキャスト全員「優しい」けど、「時に残酷で無神経」。


ヒロインニーナ(城妃美伶)でさえ、やさしさの中に残酷さが宿っています。

それが、最後にコスチャに訴え畳みかける「私は、かもめ」のセリフの意味。

ニーナ、純粋すぎて汚れを知らなさすぎる。1幕の少女のような華々しさから、

2幕の終盤でのボロボロになった状態での「コスチャにとって残酷すぎる」セリフたち。


きっと、トリゴーリン(天寿光希)を純粋に愛しすぎたのです。

トリゴーリンがアルカージナと別れなくても、子供ができて、その子どもが死んでもなお

「トリゴーリンが、好き」。「えー、うっそぉ」となるくらい、真っ白で純粋。

そしてその純粋さが、コスチャにとって残酷でコスチャは死を自ら望むことになる。


城妃さんのニーナは「負の演技」をしても決して「なんだ、この女」とはムカつくことは

ありませんでした。コスチャを切り、トリゴーリンに捨てられても、

夢はあきらめない。彼女の強さをコスチャは愛し、最後までニーナを求める。


「私は、かもめ」の言い方がボロボロになりながらも最後まで

意志を貫きとおす強い女で、天使のような純粋さだから無神経にコスチャを傷つける。


誰でもできる役ではない、ニーナ。どんな場面でも、残酷すぎるけど

ニーナを演じた城妃さんの暖かい演技と鋭い感性、そして守ってあげたくなるような

コスチャの「ミューズ」。個人的な話で申し訳ないけどあんまり詳しく知らなかった城妃さん、

彼女の演技がもっと見たい!と思わせる力のある宝塚の娘役だと思いました。


最後のボロボロになりながらも冒頭の「コスチャが作った劇中劇」のセリフを繰り返す

城妃美伶に鳥肌が立つ。



あまりに面倒くさい男、メドヴェジェンコ(瀬央ゆりあ)。


マーシャに対して「お金」と「うちに帰ろう?」と「赤ん坊が待ってる」のセリフを繰り返す、

超ウザい教師。

背筋を丸め、つねに作り笑いで周りからも「めんどくさいな、こいつ」という印象しか与えていない

メドヴェジェンコを演じたせおっちはまだ若手ということを忘れてしまう。

照明が当たってないところでも、常にオドオドとしていて、


「ちょっともー!しっかりしてよメドヴェジェンコ!!」


と怒鳴りつけたくなるキャラクターでスマートとは程遠い。

マーシャに対しても「そのセリフ、ここでいうセリフじゃないから!」

「タイミング悪すぎるよ、メドヴェジェンコ!!!」となるのですが、

これもせおっちの「表現することができる役者」だから物語に入り込めて、

こういう負のスパイラルMAXのメドヴェジェンコにひきつけられるのかなと。


せおっちが出てきたら「今度はどんなウザいセリフを吐くのだろう」と期待さえしてしまう。

せおっちが本気で二枚目をやったらすごいことになりそうだな、と彼の

演技の幅広さに今から期待でわくわくする。



たしか歌劇の記事でこの公演は「「失恋ショコラティエ」のような、全員片思い。」という

小柳女史はおっしゃってた気がするのですが、絶妙なシーン運びとセリフと音楽、

そして今最も勢いのある礼真琴の初バウでこの作品、は賛否両論だっただろうと思います。


ただ、「コスチャ役は今しかできない」という礼真琴だったと思う。

あまりにみずみずしく愛することを知ってるがゆえの弱さ、を表現していた。

コスチャは自ら行動を起こすことはあまりしない。起こすのは「自殺未遂」とか

「かもめを打ち殺す」とか、そういう人間としてはあまりほめられない行動ばかり。


それでも、礼真琴は抜群の歌唱力と演技のセンスで「真ん中」に立てる。

冒頭のニーナとの心の通じ合っている楽しそうな表情に終盤の「受け」の演技が

見事でした。礼真琴の代名詞「ママ」はやっぱり礼真琴しかできないし、

真ん中といえどもあまり出番はない。けれど強烈な印象のコスチャがいて、

見た後「やっぱり主演の礼真琴がうまい!」としか言わせない演技力。



見ていて痛々しいほどナイーブなコスチャに、「かっこいい」礼真琴は見えなくても

ド級でうまい」礼真琴は見れる。「かっこいい」礼真琴は今から

いくっらでも見れると思うので、この作品が初バウ主演の意味はとてもあると思う。


ママ、アルカージナとのけんかのシーンはうますぎて疲れた。

上手い人のガチンコの演技は疲れる、ということを学んだ「かもめ」です。


礼真琴、つらすぎるほど芸達者すぎて神経にビンビンきます。


最後に「星組の最終兵器」天寿光希。


どんなにトリゴーリンがひどい男でも、「まあ、この人ならしかたないかなぁ」と思わせる、男の色気。

芝居なのに、芝居を感じさせないにじみ出る色気がハンパない。

助演男優賞があるとすれば、今年はこの「かもめ」の「天寿光希」だったかなと。


最後、ドクトルに「コスチャが死んだ」と耳打ちされ、それでも動じないトリゴーリンが

人間的にひどすぎて嫌いになりそうなのに、どうしてかな、この最後の幕が閉じる

瞬間の天寿さんの表情が私の語彙力では無理な表情をする。


この「コスチャが自殺した」というセンセーショナルな事件のはずなのに

まるで自分とは無関係、ってーかコスチャって誰だっけ?みたいな表情に

「うわっ・・・」となるのに感情的に


「トリゴーリンが悪い!」「トリゴーリンがニーナを捨てなければ!!」


とはイコールで結びつかない、感じないこの天寿さんの表情がこの「かもめ」のすべてを

物語っている。スピンオフで「かもめ ~トリゴーリン編」を見たいくらい彼をもっと知りたい。



つらつらと書いたけれど、タカラヅカ作らしくない「かもめ」なのにちゃんとタカラヅカっぽく

なっている「かもめ」に驚いた、というのが大きな感想です。


これ、CS放送だけではもったいないです。大階段と羽だけじゃないタカラヅカ

たまにはロシア文学も悪くない。

もうちょっと勉強して見たらまた感想が変わりそうな要素が詰まった作品です。



「私は、かもめ」。



最後のニーナの独断場の長セリフとそれを見つめるコスチャ

お芝居のはずなのに、ロシアのどこかでニーナはぼろぼろの女優をしながら、

屋敷で死ななかったコスチャがまだ原稿を書いていそうな想像が働くお芝居でした。