TRUNK DIARY -ナナメカラタカラヅカ-

宝塚見て早半人生。まだまだ未知の世界すぎて幸せ。

星組トップスター、柚希礼音、退団

「ちえ」という愛称がまだそれほど私の中で通じていなかった時代に出会った

「柚希礼音」は私の中では「研3のザネリ」という愛称でした。


なかなか失礼な愛称でしたが、「研3のザネリ」はあんなに大きな羽を背負って、

「柚希礼音」あるいは「ちえさん」「ちえちゃん」という名で

宝塚歌劇団100周年を表舞台で支え続けた、トップ在位6年間。


柚希礼音の中でそれは短かったのか、長かったのか。

楽しかったのか、しんどかったのか。


それは本人にしかわからないことで当然だし、私が理解できるはずもない、

タカラヅカ人生だったことでしょう。


私事ですが、私は柚希礼音に出会った公演を覚えていません。

「気づいたら、そこに柚希礼音がいた」からです。

これはよくタカラヅカファンがいうことですけど、本当にそうなんだから仕方がない。


「ノバボサノバ」の言い伝えといいますか、ジンクスで

「ドアボーイをやった男役は出世する」というのを友達から聞いた覚えがあります。

「ノバボサノバ」を友達と映像で見たときに友達が


「この子!柚希礼音!!覚えてて損ないから!!!」


といわれて、何年経つのでしょうか。そのジンクスが正しいのか間違っているのかも

定かではないですけれど、「柚希礼音」という名を聞くたびぼんやりと

その夏休みの宝塚強化合宿(と、いう友人主催の鑑賞会)を思い出すんですよね。

柚希さんには全く関係ないことなのですが、結局その友人は見事いい当てたことになるので

柚希さんがトップ就任したときの友人のドヤ顔を今も忘れることができないんです。


柚希礼音、その芸名も今までなかった一味違ったインパクトがあって

覚えやすかった。いい意味で現代的で、いい意味で斬新。

新専科制度導入でカオスった星組の中をくぐりぬけて、6年前柚希礼音は

トップになりました。まだまだ若くて、いわゆる「ピチピチ」でした。


私がよく「研3のザネリ」が登場したのは夢輝のあ主演バウ「イーハトーヴ 夢」という

かゆくなるような名前のファンタジー作品です。あまりにファンタジーすぎる題名と、

宮沢賢治」という個性的な作家の(好きな人と「わかんない」人がわかれる)生涯を

つづった作品で、ねったんファンだった私は強行突破で「サバキ待ちで観劇する」

という暴挙に出ました。いい思い出です。今はそんなことできません。私も若かった。


サバキ待ちで見た「イーハトーヴ」はなんとも絶品な舞台でした。

宮沢賢治」、教科書で「ハテ?」となっていた作家だったけど、

ラストはゴーゴー泣いて今でも再生するのに勇気のいる作品です。


その中でねったんをいじめる役が、研3の柚希礼音でした。


信じられなかったです。研3という学年が。

なんっか大きいし、ダンス何この人ってくらい前に出て踊っているし、

当時いっぱいいた実力派星組生の上級生の中でもキラッキラしてるし。

「研3のザネリ」というよりは「研3のジャイアン」でした。

余談ですが、壮さんがジャイアンTシャツを柚希礼音に贈ったというのは

この「イーハトーヴ」を壮さんは見ていたんではないかと個人的には

思うほどです。研3でジャイアン。有無を言わさずジャイアン


そんなジャイアンの次に驚かされたのは何年か後の、

「スカーレット・ピンパーネル」ショーブランでした。

私の記憶範囲内では、世間がようやく「星組の2番手」として柚希礼音を認めた

公演だったと思います。


「まだ早い」「まだ若い」


が当時の柚希礼音評だったのに、それをこの公演で


「柚希礼音すげえ」「柚希礼音本物」


に変えた作品。作品の面白さもさることながら、とうこさんの代表作に

なったこの作品でとうこさんが主演として輝けたのは二番手に回って

真っ黒いショーブランを生真面目に演じた柚希礼音がいたからだと思っています。


作品の中でニヤリ笑いはしても、心の底からの楽しい笑いは一切ない役で、

それもとうこさんの毎回のアドリブに耐える実力もなくてはならない、

真っ黒くでもどこか憎めないショーブラン。


得意のダンスはほぼほぼ封印で、どちらかといえば課題とされていた歌で

勝負しなくてはならなかったショーブランで柚希礼音は開花し、

大きな翼で羽ばたいたと思います。


苦手分野で認められるのは難しい。


その人間なら至極当たり前のことを努力と才能で「認めさせた」柚希礼音は

実力派のとうこさんにとっても、信頼できる相棒、かつ脅威の存在になったと思う。


トップと二番手は、仲が悪くてもいけないが、

ライバルでいなくてはならない。


「こいつなら私が舞台に出ていなくてもその場を埋めることができる」という信頼、

「埋められたら私の立場がない」という脅威。


それはいつの時代でも一緒。

その関係、絆、信頼、友情、ライバル、脅威、焦る気持ち。

どれも全然違うようで、実は「宝塚」の世界では紙一重の言葉たち。

それを具体化させて、私たちに魅せてくれたのが「とうちえ」の時代だった気がします。


「とうちえ」の星組。私の中では、伝説の時代です。


そして、柚希礼音にその「タカラジェンヌの在り方」や「居方」、「姿勢」などを

教えたであろうとうこさんがタカラヅカを去りました。


ここからが、柚希礼音にとって本当のタカラジェンヌとしての第一歩だったと思います。

ただただ能天気にクルクル回っているだけではいけなくなった時代の到来。


星組生え抜き、星組の血が全身に通っているトップの誕生。


昔からなぜか「星組だけを見ている」という人も多くはない星組ファンの方の

期待を一身に受けて「星組トップスター 柚希礼音」。


6年前、ショーブランを一緒に作り上げた小池修一郎の作品で始まった、

柚希礼音の星組


突き抜けて大きく、見事なバランス力で立ち、圧倒的な存在感。


作品を重ねるごとに大きくなる無限の可能性。

演出家たちも、「こんな柚希礼音が」「ああいう柚希礼音も」という気持ちだったことは

ファンと一緒だったと思います。


何事にもストイックで誰よりも練習熱心。

運がすべてを動かした、というよりはそういう柚希礼音に運がついてきた、というべきスター。

年月を重ねるにつれ、衰えるどころか力ばかりがついていく。

そして、それが星組の発展につながる。

絵にかいたようなスター、入団したときは斬新で今まで聞いたことのない芸名も、

今では宝塚歌劇団の代名詞になった。


90周年運動会で綱引きの最後尾に体に綱をまきつけ、負けて泣いていた

「ちえちゃん」は100周年ではどこまで走り、「運動会の主役」として君臨するのか。


宝塚歌劇団が誇る、トップオブトップ柚希礼音」


始まりは大きくなりすぎた、大阪のバレエダンサー。


今は世界に一つしかない劇団のトップスター。



私は柚希礼音のタカラジェンヌ人生を最初から最後まで見れました。

タカラヅカファンでいて、私の中で大きなトピックス。


「黒豹の如く」しなやかに舞台を駆け抜ける柚希礼音。

「ダイアモンド」のように輝いて、去っていく。


その輝きを忘れないことができるのが、とっても幸せです。

記憶の中での輝きはあせることがなく。


82期退団で「ひと時代」「ひと時代」と言い続けましたが、本当にまた、

私の中で「ひと時代」が終わります。


5月まで輝き続て、柚希礼音。

ありがとうという気持ちだけは忘れません。