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宙組「モンテ・クリスト伯」(東京)。宙組の役者、揃って復讐劇に登場。

友人からの棚からぼたもちでチケットゲットできたので
東宝モンテ・クリスト伯を見てきました。
この前花組オーシャンズ11」を見たのであまり時間がたってないのでそれほどまでも
緊張しなかったけど、やっぱり東京のビルは何度行っても慣れない。
なぜならば地震を考えてしまうから(※南海トラフの中心といわれている地域に住む。
小学校のころから災害訓練だけは真面目に参加。)(だけって)


モンテ・クリスト伯」。


プログラムに書いてある通り、
「凰稀でラインハルト様とオスカルの間と考えてこの役を書いた」と
イシダーの作品闘志を刺激する機会だったようだ。
一見、ポスターはホラーである。誰もが「これ、あの凰稀さん?」と思う
ポスターには間違いない。ただ、この作品はとても「宝塚らしい」作品である。


あらすじは実にわかりやすい。初心者にもオススメの作品である。
ダンテスが扮装するシーンは宝塚ファンにはわかったら楽しみのひとつだが、
それは別にわからなくても楽しめる。実にイシダーらしい作品だ。ひとに優しい。
「人に復讐する」というのは一見宝塚らしくないと思われるが、
その復讐を通し愛する人への愛や友情、そして必ず主人公はヒロインと幸せになるという
3大お約束を見事1時間40分で完成させているのは、やはりイシダーの
「一見重たく見えるが見てればライトな作品癖」というイシダーらしい
見てて「安定」の「宝塚劇」が繰り広げられるからである。
私は嫌いじゃないし、今回は下品な場面も作られていないため、
落ち着いて鑑賞することもできるが、
ちょっと「物足りなく」感じるのもまた一興か。
その「物足りなさ」も「宝塚見たわぁ」と思わせることができるのは、
DAISUKEショーの宝塚メドレーたちと後の帝劇レミゼのしんどさからか
(個人的ですみません)。



ダンテスはまっすぐな男である。目の前のことを真実と信じ、疑う心を知らない。
メルセデスの愛は本物だと思ってるし、親友たちは心から祝福してくれてると
逆にいえば「おめでたい」人間かなとも思う。それほどプロローグは
幸せ度120%である。果汁丸ごと幸せ味。
ただ、現実はそうとは限らない。
目に見えることがすべて本物ではないことをダンテスは知り、
牢獄に突き落とされるのだ。それは、親友だと思っていたフェルナン、ダングラール。



凰稀ダンテスのプロローグはまさに「濁った眼と心をもたない男」そのものである。
目の前のものがすべてキラキラ輝いており、希望以外なにも見えない。
凰稀ダンテスはまっすぐでメルセデスと幸せになることを信じて疑っていないし、
実咲メルセデスも同じく自分はこれから世界一幸せになることを恐れていないし、
フェルナンがいくらモーションをかけてもダンテス以外見えていない。
凰稀ダンテスと実咲メルセデスはこのプロローグがあるからこそ、
後半のシーンのふたりの「ラブシーン」である「戦い」につながる。
「愛している」からこそ「戦う」。
ふたりの宝物であるアルベール(愛月)のために。


最初どうなっているんだろう?と思う粋な演出が後ろ姿が凰稀そっくり
愛月ひかるの「ダミー」の使い方である。
一回目、正直どこから凰稀でどこから愛月かわからなかった(笑)
イシダーの采配というのはいつも意表をついてくる。
声が凰稀なので、愛月さんがセリ下がった瞬間上がってくる凰稀さんに
「えっ!?」となる。ここは宝塚ファンこそ楽しめる瞬間。
じっくりプロローグを堪能していただきたい。


そして、牢獄のシーンはまさにイシダー演出の良点満載だ。
まず、短い。ルックスが強みの凰稀かなめにボロボロの服を着せてほしくない。
「汚い凰稀かなめなんて凰稀かなめではない!!」といわせていただきたい。
冒頭の軍服。船長の帽子。隣にはキラキラ輝く相手役のウエディングドレス姿。
これこそ「凰稀かなめ」の真髄だと思っている。
牢獄のシーンはパッパッと切り上げ、今度は「モンテクリスト伯」としてダンテス凰稀は
復活する。これこそ、宝塚!!汚いシーン、できるだけ排除。(なんかのスローガンか)


そしてたたみかけるかのように復讐が始まる。
演出がわかりやすく、スポットライトが該当者の4人に当たる演出はかっこよく、
なによりわかりやすい。
ここからダンテスの七変化が始まるのだが、一発でモンテ・クリスト伯とわかるので
特に語る必要はないと見られる。


悠未ひろ演じるダングラールはフェルナンにそそのかされて共犯になるが、
彼の「悪役専科」なるものの素晴らしさ。
タッパがあって映えるのと、最後の切なさまで漂ってくるような無残な妻の裏切りに
「お気の毒に…」ともならなくはない。
ここの妻役の愛花ちさきのはっちゃけたキレっぷりにも注目するとダングラールが
不思議と気の毒になってくるから愛花の演技も注目したい。
ここで思い出したのだけど、プロローグ、フェルナン演じる朝夏さんと
ダングラール悠未さんのアイコンタクトもたくらんで笑っている
悪そうな感じがたまらなくいい。ニタリニタリと眼だけ笑う二人は
何物でもない「下衆の極み!!」です。いい役者である。


フェルナン朝夏まなとはダングラールに輪をかけた「下衆の極み!!」を好演している。
今まで悪役という名の悪役はあまり印象がなく、どこかひょうきんで
気のいい青年のキャリアをもつ朝夏さんに新しい一面が見られたのではないかと
「下衆の極み!!」であるが「役者の極み!!」でもあると思う。
朝夏さんの新しい面が見ることができて私はとても満足です。
実咲メルセデスを殴ったり蹴ったり浮気したりもうどうしようまぁ様!!みたいな
役なのだが不思議と朝夏さんは憎めない。
「むかつく~~~~!!!けど、許す~~~~!!!」という
古典ギャグがぴったりで、宝塚的。だめだ、もう朝夏まなとフォーエバーになってしまう。
すらりとしたスタイル、着ている衣装はきれいな軍服、だけど「下衆の極み!!」。
おいしい悪役ということで彼の魅力がまた爆発してしまったようです。


もうひとりの三悪人、それは蓮水ゆうや演じるヴォルフォール検事。
しかし私は彼の味方です。確かにダンテスは彼によって投獄され、
人生をめちゃくちゃにされた。
けれど彼には理由がある。ただメルセデスがほしいという欲求のみのフェルナンとは違う。
それは「家族を守り、自分を守る」。ナポレオン派の父親に手を焼き、自分の出世に悪影響。
人間というものは、「他人のためには強くなれる」というタイプと
「自分のためには強くなれる」の
ふたとおりがあり、特に宝塚で書かれるのは「他人のためには強くなれる」が多い。
それは両親のためだったり、愛する人のためだったり友人のためだったりさまざまだが
ここのヴォルフォールは残念ながら「自分のためには強くなれる」派だったのが
三悪人となった理由である。証拠となる手紙を焼き払い、ダンテスを投獄させる。
そんな「しょうがないよね、ヴォルフォールは」と思えてしまうのは私だけであろうか。
あと、彼に残念な点があるとすればそれはエロイーズ(純矢ちとせ)と
結婚してしまったことであろう。
彼女は財産と夫の地位がすべて。あとはすべて切り捨てることも簡単な悪女である。
残念ながら、彼女が「なぜ」そのようになってしまったかは描かれていない。
なにか理由があるのか、それとも生来の性格の悪さ…なのか。
ただし、純矢さんは残酷で冷酷な悪女を好演。彼女のこの強さはどこからくるのだろう。
いつも宙組を見ると心惹かれる役者である。


最後に「ラブシーン」とイシダーが明言する「ダンテスとメルセデスの戦い」である。
緊迫した空気が流れる重要な場面。
ここで彼らはお互いにまだ想い合っている事を知り、最後の「決闘」になだれこむ。
ただし、ここで戦っているのは「お互いのため」ではもはやメルセデスのほうは、ない。
「自分の息子」つまり「自分が生きている理由」。アルベールのため。
フェルナンの心ない行動に人生に疲れてしまっているメルセデスは心もボロボロであり、
誰も信じることができない。泣きながら彼女はモンテ・クリスト伯、いや、ダンテスに頼む。
「アルベールを生かして」と。母は強い。「アルベールの亡骸を抱きたくない」という
母性をにじませ、迫真の演技である。彼女自身はまだ若く、子どももいないのに
実咲凛音の演技力に唸らせられる。


そして、「生きている理由」はただ「自分の子供だから」というわけではないことが
最後の最後にわかることとなる。彼女はひとりダンテスの子ということをひた隠し、
フェルナンの心ない行動に必死に耐え、彼女はたったひとりで生きてきたのだ。
「ダンテスの子だから」―――――どこかアルベールにダンテスの面影を覚え
そこに自分の生きている理由を見つけ、アルベールの成長に心弾ませる。
ダンテスと私の子、それがすべてだったのだ。彼女の喜び。
ほら、見て。私とダンテスの自慢の息子なの。
愛の結晶よ。私と、ダンテスの―――――。


そこでモンテ・クリスト伯は初めて本当の、
冒頭の素直で人を信じたい、ダンテスに戻れるのである。


このお芝居は「人を信じる心」を教えてくれる。
人生人を信じなくては、損すること、イシダー流の人生を楽しくするコツ、
エッセンスあふれる作品です。

 

 

ちなみに大劇場で見たときの感想記録は

宙組「モンテ・クリスト伯/Amour de 99!!」①

宙組「モンテ・クリスト伯/Amour de 99!!」②

宙組「モンテ・クリスト伯/Amour de 99!!」③

 

ここより軽く、ショーのツボも書いてます。
なんといっても「ボンバランス」です(まだ言ってる)。